松岡修造の名言カレンダー 熱い言葉は過酷な過去を乗り越えてきた本物だった

松岡修造といえば、CMや数々の名言(?)で有名で
その熱さから訪れた国の気温が上がるなどとも言われています。

最近はスポーツキャスターとして活躍していて、
錦織圭選手への熱い応援がかなりイメージ強いかもしれません。

松岡さんというと、今までは熱いだけで、

正直その熱さもチョットねぇ・・・

と思っていました。

ただ、最近名言カレンダーが人気だと知り、
人気だったのでちょっと松岡さんについて調べてみると

あの言葉は辛い過去を乗り越えた本物の言葉だ

ということを知りました。

あなたが、ボクのように松岡さんを誤解していたとしたら
とてもモッタイナイと思ったので、シェアします。

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知っていますか?松岡さんはトンデモナイ家系

日比谷公園のテニスコート
実は松岡さんの家系ってトンデモナイんです。

参考までにどんな家系なのかを紹介すると、

高祖父 : 松岡修造 (実業家:松岡汽船[注 2]創業者)
曾祖父:松岡潤吉 (実業家/政治家:松岡汽船創業者社長,元貴族院議員)
曾祖父:小林一三 (実業家/政治家:阪急東宝グループ創業者)
曾祖叔父:田邊七六 (政治家:元衆議院議員)
曾祖叔父:田邊宗英 (実業家:第4代後楽園スタヂアム社長)
祖父: 松岡辰郎 (実業家:元松岡汽船社長,第9代東宝社長)
義祖父: 小林米三 (実業家:元阪急電鉄社長)
従祖叔父:田邊圀男 (政治家:第31代総理府総務長官,第12代沖縄開発庁長官,第3代山梨県知事)
父:松岡功 (テニス選手/実業家:元デビスカップ日本代表,第11代東宝社長)
母:千波静 (元宝塚歌劇団星組男役:本名:松岡葆子(旧名:静子),宝塚歌劇団卒業生)
妻:田口恵美子 (アナウンサー)
兄:松岡宏泰 (実業家:東宝東和社長)
義兄:辻芳樹 (辻調理師専門学校校長)
義伯父:三村庸平 (実業家:元三菱商事社長・会長)
義伯父:三村亮平(実業家:阪急不動産副社長)
義伯父:小林公平(実業家:元阪急電鉄社長・会長)
従叔父:鳥井信一郎(実業家:元サントリー社長・会長)
従兄:小林公一(実業家:阪急阪神ホールディングス取締役,宝塚歌劇団理事長)
(引用:Wikipediaー松岡修造)

ちょっと見づらくなってしまってスイマセン・・・(´Д⊂グスン

でも、この家系って本気でスゴくないですか?
ここまで見事な家系はそうそうない気がします・・・。

でも、これだけ見たあなたは、

ただのボンボンじゃん。挫折なんてしたことないんじゃないの?

と思ってますよね??

・・・違いますよ。

ボクが本物だと思った理由は、次を見てもらえば分かります。

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松岡修造が本物である理由とは?

単刀直入にいうと、

両親の反対を押し切ってテニスの道に進んだ

からです。

そのまま行けば、とても恵まれた環境であったのに、
激しく反対する親を必死で説得してテニスの道を選んだのです。

慶応義塾幼稚舎→慶應義塾中等部→慶應義塾高等学校と
かなり恵まれたレールの上を進んでいたのに、

高校の途中でテニスの名門である柳川高等学校に編入したのです。

さらに、編入後は柳川高等学校でのインターハイや、
国内ジュニア大会、ウィンブルドンジュニアなど、数々の大会で
見事な成績をおさめ、プロとなっていくワケですが、

このときも父親から

「プロ転向に際し、一切の援助をしない」

と、条件を付けられています。

プロになったあとも数々の苦難があった

なんとか1か月ほどでマネジメント会社と契約できたものの
活動資金は年間に300万円しかなかったため、

世界中を転戦するときの宿泊費を抑えるため
3流以下の安モーテルを外国人選手と折半でシェアするなど
はじめは本当に極貧のプロ生活だったといいます。

(しかも、ランキングが下だった松岡さんは
 いつも汚い床に寝るしかなかったそうですよ・・・。)

さらに、食事にも困っていたため、ひどいときは
隣のテーブルからホテルの朝食に出たクロワッサンを
盗んで食べた
ということまであったようです。

そのようなプロ生活のはじまりでしたが、
その後の活躍は、あなたもご存知のとおり。

ただ、その活躍も決してラクなものではなく、
両膝の半月板損傷左足首にある3本すべての靭帯断裂など
選手生命を失ってもおかしくないような

数々の苦難を乗り越えながら、

錦織圭選手が更新するまで日本の男子選手の
最高位となるATPシングルスランキング46位という
記録を残していくこととなるのです。

松岡修造を奮い立たせたものとは?

松岡修造を奮い立たせた富士山

こんな過酷な人生を歩んできたことを知り
ボクははじめて松岡さんの言葉が本物だと分かりました。

そもそも、普通に引かれたレールに沿っていけば
何不自由ない、裕福な暮らしができたハズであるのに

自ら先が見えない道を歩もうとすることは
とても勇気がいることだと想像できます。

不安で眠れないことも
きっと多かったのではないでしょうか・・・。

そんななか、逆境を跳ね除けるチカラをくれたのは

「富士山の写真」と「エースをねらえ!」

だったとか・・・。

松岡さんは、気持ちが崩れそうなときに
いつも富士山の写真を見ていたそう。

さらに「エースをねらえ!」にいたっては
松岡さんがテニスを始めたキッカケになったものらしく、
あのウィンブルドンのコートにも全巻持ち込んだそうです。

このシーンは有名ですよね。

→ ウィンブルドンでベスト8を決めた感動のシーン

このとき、マッチポイントの最後の一球で叫んでいる

「この一球は絶対無二の一球なり」

という言葉は「エースをねらえ!」の名セリフです。

分からなかった方はもう1度見てみてくださいね。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

ボクはこの松岡さんの生い立ちを知ったとき
思わずポチッとしてしまいました。

だって、この熱い言葉をいつも聞きたくないですか?

→ 松岡修造の本当に心に響くメッセージ

騙されたと思って動画を1度見てみてください。
本当に心に響きますよ・・・。

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